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SMALL TALKS






これからどうすんねん

信じる?信じない?

"I MISS YOU"について

オチ

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これからどうすんねん

1年半旅を我慢していた反動というのがカナリひどい…という事で、まずは旅だなと思っていたのですが
色々あって、直前で予定変更、仕事を辞めた3週間後にはインドで教壇にあがる事になってしまいました。
しかも噂によるとしょっぱなから上級者コースらしい。やばいな、生徒の方が日本語が上手い可能性がある。
実際日本語教師の養成講座に通ったとは言っても、実戦経験は皆無に等しいので、実はカナリ不安です。
学生時代のプレゼンのようにハッタリは利くんだろうか。うーむ…
しかも、英語を媒介語として使うのに、英語も自信がありません。あーもう知らね。
いや、意外にヒンディー語マスターしたりして。それと、ENGLISHならぬINGLISHね。「ナンバルワン(number one)」とか言ってたりして。ハハ。
まぁそれはともかくとして、これからもずっと日本語教師としてやっていきたいと思っているので、上級者コースもいずれ通る道。
何事も経験という事で、ノープロブレム精神満載で頑張って行きたいと思っております、はい。

ビザの関係上、1年が区切れになるので、まず1年。その後についてはまだ考えていません。
もう1年インドにいるかもしれないし、国を変えて教師をしているかもしれないし、どこかを放浪してるかもしれないし。
意外にインドに懲りて3ヶ月で帰国していたり、日本文化に目覚めて舞妓さんにでもなってるかもしれません。

昔、ネパールの友達がくれたメールに、「Life is changing」という言葉がありました。
私が将来の不安をあれやこれやと案じていたところ、「人生なんてどんどん変わって行くんだから、今考えたって仕方ないよ」と。
まぁ無計画で生きるのもどうかとは思いますが、明日の心配は明日しろ、ってのも確かにひとつ。
ただ自分に素直に、後悔しないように生きていけたらと思っております。


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信じる?信じない?

宗教ネタは好きですが、今回は宗教ネタではありません。
インドに来て、1番最初に直面した問題、それは「誰を信じて良いのか」ということでした。
元来、私は「人を信じやすい」性格です。
日本にいるときから、まず自分が心を開いて、相手を信じて、そこから人間関係を築くタイプでした。
だもんで、うちの母はよくそれを心配して、
「アンタはホンットすぐに人を信用するからねぇー、間違っても友達の借金の保証人とか絶対なるんじゃないよ!」なんてよく言われたもんです。
海外によく出るようになってからも、
「アンタみたいのは、ちょっとかっこいい男に何かいい事言われたらフラーっとついてっちゃうんだからねぇ、ホント気をつけなさいよ!」と念を押されました。

「この人は信じていいのか」
これは旅をしている間も、よく直面する問題です。
あまりにも疑ってかかってばかりいると、その人が本当に良い人だったという事が判明した時(主にそれは別れ際だったりする)
なんかチクリと罪悪感を感じたり、
もしかしたらそこから生まれたかもしれない良い関係(別に“ちょっとかっこいい男”との良い関係ってんじゃないですよ。
例えば、地元の人しか知らないような場所に行けたり、家庭の味をご馳走になったり、長く連絡を取り合えたり、という
そういう可能性が全部消えちゃうんだよなーとか、
あと、ずっと疑ってかかってると、やっぱり心がギスギスしてくるというか、疲れてくるし、寂しくもなってくるんですね。
こんな疑ってばかりで、私は何をしにここに来ているんだと。

逆に全ての人を「いい人」と思ってかかるのは、それは危険だと思いますが。
でも、私の好きな歌の一節に
「信じられぬと嘆くよりも 人を信じて傷つくほうがいい」というのがあります。
素晴らしい、海援隊。
旅の間、これはあくまで私のやり方ですが、私は必要以上にはあまり疑いません。
もちろん、不自然に近寄ってきた男とか、ツーリストプレースでは警戒しますが、
例えばバスで偶然隣になった人や、電車で向かいになった人がお昼ご飯を分けてくれたり、
困って立ち尽くしているときに声を掛けてくれた通りすがりの人。
信じますね。
人を見れば、もうこれは第六感なのかもしれないけど、わかります。
今までに幾度となく旅行し、色んな人に巡り会いましたが、お陰様で、危ない目には遭った事がありません。

しかし、今回はちょっと状況が違って、私は今インドに住んでいます。

最初の数週間は、ドタバタ忙しくて、何をする余裕もなかったのですが、
最近は、週末にヒマだと言える余裕が出てきました。
もちろん一人でどこかに買い物に行ったり散歩したりするのも楽しいのですが、
やっぱり、誰かと連れ立ってどこかへ行きたいな、とか思ったりもするわけです。
「あっゴメン、今度の土曜はもう予定入ってるんだよね」とか言ってみたいわけです。
早い話、友達が欲しいわけです。

私は毎朝サイクルリキシャといって、人力車の自転車バージョンに乗って通勤するのですが、
毎朝、サイクルリキシャのたまり場に行くと、いつも同じおっちゃんが、
私めがけて「ホー!ホホー!」と突進してきて、会社まで乗せてくれます。
彼は、さりげなく
「アイ ライク ユー!」
「ユー アー マイ ドリーム!」
←多分夢に出たと言いたいらしい
と、愛を囁いて、いや、叫んでくれる憎めないおっちゃんなのですが、
この前、「ムービー。ムービー。ウィズ ユー」と言ってきました。
ははぁ、一緒に映画を見に行きたいのか。
別に週末やる事もないし、リキシャワーラーと映画を見に行くなんて、ちょっとネタになりそうだ、と、
私は彼の申し出を承諾して、一緒に映画を見に行きました。

結局映画は全く面白くなく、後半は寝てしまうようなウンコだったのですが、
翌日クラスで、「先生はリキシャワーラーと映画を見に行きました〜」と言うと、
「先生、never do it again」と生徒みんなに言われました。
リキシャワーラーの多くは、教育をきちんと受けておらず、
それゆえ英語が話せず、それゆえリキシャワーラーにしかなれず、
それゆえインド社会の底辺に近い暮らしを余儀なくされている人たちのようで、
そういう人たちと交流をするのはリスキーだ、というのです。
別にあのおっちゃんは、全然悪い人ではないと思うのですが、
今回私はここに雇われの身として来ていますから、控えなくてはいけない行動だったようです。
その後、生徒たちには「会社関係の人、家族関係の人以外、誰も信じてはいけないです」と言われました。
会社に帰って話したら、会社でも同じ事を言われました。

「誰も信じてはいけません」

この言葉の、なんて悲しい響き。
誰も信じられないなんて、そりゃ寂しすぎるよセニョール。
ただでさえ、知り合いのいない地に一人で来て、誰か頼れる人がほしいのに、誰も信じられないなんて。どうしたらいいんだろう。

しばらくの間、「孤独」という言葉が心にへばりついて、離れませんでした。



でも、思い出せば、生徒たちは、「先生、僕たちがいます」と言ってくれました。
会社の人たちも、「先生、私たちがいるじゃないですか」と言ってくれました。

ここでまた「じゃあ彼らは信じて大丈夫なのか?」と疑い始めればキリがないのですが、
私は彼らを信じたい、信じようと思っています。
オーナーの子供と遊び、週末に来る親戚と語り、
たまに会社の同僚の家に泊めてもらい、生徒と一緒に出掛ける。

十分じゃないですか。
無意識のうちに、私はとんでもなくたくさんの「信じられる人」を欲しがっていたのかもしれません。
そんなにたくさん必要じゃないよな、ということに気づきました。
日本にいたって、全員を信じているわけじゃないし。
(私は限りなく誰でも信じる傾向はありますが。)
数こそ少なくとも、私のことを気に掛けてくれる人がいるならばそれでいいのかな、と今は思えるようになりました。
生徒から生徒の友達を紹介されたり、同僚から同僚の友達を紹介されたり、
少しずつその輪も大きくなりつつあるし。
これから私を取り巻く環境がどう変わっていくのか、楽しみだったりもします。
うーん、なんか気持ち良い締めくくりになったけど
本当にいいのかなぁ。痛い目に遭うんじゃないだろうか。
まぁ色々悩みは尽きぬまま、インドでの生活は3ヶ月目に突入した今日この頃なのです。
(2007年10月13日)


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"I MISS YOU"について

"I MISS YOU" という英文を見たとき、みなさんはどう訳しますか?
私は、いつも困惑してしまいます。

確か、初めて"miss"という言葉を見たのは、中学1年生か2年生の英語の教科書でした。
マイクかジョンか誰かが、ユキか誰かに宛てて手紙を書いて、その文の中に、"I miss you" という文があり、
このときは、「miss=〜を懐かしく思う」とかそんな意味だったと思います。

……しかしながら、私だけの見解かもしれませんが、"miss"には、もっと深い、切迫した意味があるのではないかと思うのです。
例えば、映画の恋人同士が離れ離れになるシーンで、別れ際に"I mis you..."とお互いを見つめながら言うのは、
少なくとも「あなたを懐かしく思います」ではないと思うわけです。笑

辞書で意味を調べると、もともと"miss"というのは、「何かをなくす、失う」というところから、
あなたがいなくなってどうこう、という感情の表現に結びついているようです。
ですから、マイクのように、一緒に何日か過ごしてplay tennisとかlisten musicとか、いい思い出が出来たね、程度なら
ユキがいなくなって、今その日を懐かしく思い出してるよ、ぐらいな訳し方で良いのかな、と思うのですが、
状況によっては、あなたが愛しくて仕方がない、あなたを失いたくない、というような、
かなりヘビーな表現にもなりうると思うのです。

で、どうして私がこの単語を取り上げたのかというと、大学生で一人旅を始めた頃から、
旅先で出会った人たちと、メールの交換をするようになり、もちろんそれは英語なわけで、
その中で頻繁に出てくる言葉のひとつが、この"miss"だったからなんです。
女の子からのメールだと、"miho, I miss you!!"とか書いてると、"美穂がいなくて寂しいわッ!"みたいな感じで受け取れるんですが、
男の子からのメールで、特に"miho, Im missing u..."と、"..."を打たれたり、"I miss u so much..."なんてso muchコンビネーションが来ると、
誤訳したくなるわけです。爆

まぁそれはいいとして、
でも、本当に「どう訳せばいいんだろう?」って困ることは、今も多々あります。
「懐かしい」と「恋しい」の中間くらいで「寂しい」あたりが妥当かな?と、
たまに生徒から「先生、missは日本語で何ですか?」と聞かれたら、そう答えています。

でも、「もしこの"miss"に、もっと深い意味が込められているのだとしたら…」と考えると、
妄想エクスプレスは間もなく発車してしまうわけで、
"miss"にEXACTLLY!!!って感じでしっくり来る日本語が、何かあったらなぁ〜、と思ってしまう今日この頃でありました。
(2007年12月22日)


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オチ

1年ぶりに日本へ帰って来て、テレビを見ると、知らない若手芸人がたくさん出ているのに驚きます。
逆に言うと、私が日本を発つ前にいた芸人が、今何人残っているだろう…。ホント、数えるほどしかいません。
芸人社会もなかなか厳しいのかなぁ〜とも思いますが、やっぱり消えているのは、芸の無い芸人、ですよね。
一発屋みたいのは、仕方ないです。だってぶっちゃけ面白くないですもん。
そういう中でも、やっぱり残る人は残っています。何が違いなのか。

その謎をハッキリさせてくれたのが、最近見た「すべらない話スペシャル」でした。
前々から番組タイトルは知っていたのですが、見たことはなく、お恥ずかしい話ながら、今回が初めて。
一応見たことのない方のために、簡単に内容を説明すると、松っちゃんを中心に、数名の芸人が集まっていて、
中央には全員の名前が書かれたサイコロがあり、松っちゃんがそれを振ります。
そして、名前の出た芸人が「すべらない話」をします。
話が終わったら、またサイコロ…というとてもシンプルなもの。
(ちなみにこのスペシャル版では、誰もすべらなかったんですが、もしすべったら、どうなるんでしょうか。誰か教えてください。)

これ、もちろん面白いんですけど、それ以上に、「話術」の勉強になりました。
まぁ芸人の世界って、ちょっと特別といえばそうですから、
ネタが周りに転がっている度合いも、私たち一般庶民と比べたら多いのかもしれませんが、
それでもやっぱり、そんなバカウケな話が毎日毎日あるわけでもありません。
ですから、芸人に求められるスキル、それは、いかに普通の話を面白可笑しく話せるか。まさしく話術です。
どの順番で話し、どこでオチをつけるか。これによって、話の面白みや印象って、全く変わってくるんだと思います。

そう、オチ。
それで、ちょっと昔の話を思い出しました。

大学生の頃、私はさやかという子ととても仲良しでした。
出席番号が隣、というありがちな出会いでしたが、笑いのツボも、ボケの掛け合いも息がピッタリで、親友というか相方の域です。
なんですが、私たち、いつもペチャクチャ話しているのかというとそうではなく、結構沈黙も多かった。
私も彼女もあまり沈黙が苦にならないタイプだった、ということもあるのかもしれませんが、
私が沈黙を選んだ理由、それは「面白い話がないから」というものでした。
話すことなんて、口がある以上いくらだって出来る。
でも、そこから生まれる笑いや、次につながる何かが期待出来ない場合、わざわざ伝えようとは思わない。
…と話すと小難しいですが、要は、ウケる話がない時はわざわざウケない話に時間を割こうと思わないってことですよ。
そのせいもあって、いつもさやかと話す時は、時間も忘れて終わりを知らない爆笑トークが生まれていたと私は思っています。

さて、それでなんですが、同じ学年に、とても話好きの女の子がいました。
彼女はいつも誰かといて、いつも何か話している。遠目に見ていてもわかるくらい、彼女は社交的でおしゃべり好きでした。
そこで私は思ったわけです。彼女はこうも毎日毎日何を話しているのだろう、と。
そんなに面白い話が彼女の周りにはいつも転がっているのだろうか。
そんな疑問から、私は彼女と一緒に過ごしてみることにしました。
なんですが。

ないんです。

オチがないんです。彼女の話は、とりとめもなく、ただ身の回りで起きたことを伝えているに過ぎない。
例えば「今日ね、地下鉄で、私の隣に男の人が座ってたんだ」
  私「うんうん」
 彼女「その人、満員なのに新聞広げて読んでたんだよね」
  私「うんうん」
 彼女「そして席に新聞置いて降りてったさ」
  私「うんうん」
   <<<おわり>>>   …のような。

新聞読んでて、それが風俗店の広告のページだったとか、それで勢い余って私のお尻撫でてったとか、何かあるでしょうに。
思わずコケそうになるくらい、オチがない。
でも、周りも周りで、コケるどころか、「そういう人いるよねー」とか感想言ってる始末。

…なんて生産性の無い会話なんだ…!

ショックでした。会話ってこんなんでいいんだ、と、軽いカルチャーショックを覚えました。
さやかとの会話のレベルの高さを実感しました。
さやかと話す前に、話す内容をふるいにかけていたという自分の作業に、高貴高尚なものを感じました。

…話ってそういうものなんでしょうかね。
最近は、仲のいい友達とも毎日会えませんから、何かの時に久々に集まる、という形が多くなりましたが、
そういう時は、集まる前に、必ず私はネタの整理をします。話の順番とか、強調したいところとか、軽くまとめます。
まぁ自分が話下手だからというのもあるんですが、やっぱり聞いてもらうからには楽しく聞いてほしい、というのも自然にあります。
自分で言うのもなんですが、こういうことをしているから、いつも集まったときは、私のターンはトリなのでは、とも思います。
まぁ簡単に言えば、「ウケたい」という自分の汚い芸人根性、と言うことも出来ましょう。

みなさんは、話す時に、何か心掛けていることってありませんか。

…そして、この話のオチは何か?と問われるとなかなか苦しいところではあるのですが、それは徒然トピックのページ、ということでご容赦願います。




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